February 13, 2019

潤くんにお願い

潤くんへのお願いはですね。


松本潤の魅力は、何と言っても、
エロさ!


スキャンダルも勲章。


そんなことを気にしているちっちゃな男は、
魅力がない。


強く、逞しく、エロく、
いつまでも、表舞台で輝いていてほしい。


最近、ふと思ったんです。


ナラタージュの葉山先生って、
実は、精神的に病んでる男だったんだなあって。


それを松本潤が演じるから、
病んでる男のエロい泥沼に、
泉が抜け出せなくなったんだなあって。


潤くんは、まともでない男を演じると、
背徳のエロさを醸し出すんですね。


他のどんな俳優も生み出すことができない松本潤の魅力がありますから、
それをいろんな形で生かしていってほしいなあと思います。

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May 16, 2018

ナラタージュ未公開映像

ナラタージュの未公開映像とメイキングを見ました。

以下ネタバレがあります。


未公開映像のいくつかを見ることで、
監督が、どういう映画を創りたかったのか、
さらに、少しわかるような気がしました。

大きなポイントは二つ。

泉が、葉山先生の家に泊まった日の夜から、
翌日にかけての映像が、
バッサリカットされていましたね。

泉が葉山先生を誘ったのに、
葉山先生は、おやすみと言って、
誘いに乗らなかった。

二人で、焼いたトーストを食べた。

二人でドライブに出かけた。

これらの映像は、
現実に起きたこと、行動したことが、
そのまま描かれていて、
わかりやすい。

でも、代わりに本編に流れたのは、
葉山先生が、ソファーに横たわって、
映画『エル・ス―ル』のビデオを見ているところ。

『エル・スール』に何か意味があるんだろうなあ・・・
とは思うけれど、
何を表現したかったのかわからない。

今、カットされた映像と見比べて思うことは、
泉が、初めて自分の家に泊まるという一大事な日なのに、

葉山先生の心は、
泉ではなく、映画『エル・ス―ル』の世界にあった。

父親と娘が一緒に踊る幸せなシーンが映し出されていましたが、
この父親は、のちに娘を捨てて、別の女性のところに出ていった。

今の泉との幸せな時間も、
いつかは、自分が泉と別れるだろうと、
潜在意識が思っていたということでしょうか。

監督は、泉と一緒に朝食をとったり、
一度っきりのドライブデートよりも、
葉山先生が、自分ひとりの世界を優先したということを
描きたかったのかも。


また、未公開映像には、
母親がガンの手術をしたばかりだったのに、
1人にするわけにはいかなかったから、
妻と母との同居を望んだことが描かれていましたね。

このセリフが本編にあれば、
わかりやすかったけれど、
葉山先生の身勝手さが浮き彫りになったと思う。

なぜ、母との同居が、
家に火をつけるほど妻を追い詰めたかは、

妻の気持ちよりも、
母親を優先する夫への絶望だったように思う。

泉が葉山先生の家に初めて泊まったときのことも、
葉山先生の奥さんと母親との関係も、
わかりにくくあいまいにすることで、

この映画が、泉の回想で、
ぼんやりした幻影のような雰囲気を作りだしていると思う。

冷めた眼でみれば、
身勝手な男に振り回されただけのことだけど、

幻のような美しい思い出になっているということでしょうか。

映画はビジネスで、
黒字にしなくては、次の映画が作れない。

もっと多くの人にわかりやすい映画を作った方が、
動員数も多くできるかもしれないけれど、

松本潤という、お金を払うファンをたくさん持っているスターを
主演にできたことで、

監督の意図を必死に理解しようとする
コアな観客向けの映画を創ってみたかったのかなと思う。

公開後に未公開映像付きのDVDも販売するという前提で。。。

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December 07, 2017

登場した映画の意味(ナラタージュ)

映画『ナラタージュ』に、いくつもの映画が出てきますが、
行定監督は、何故この映画を、この場面に登場させたかが、
ずっと気になっていました。

これを解明しない限り、映画『ナラタージュ』は理解できないと。

ですから、『隣の女』『エル・スール』『浮雲』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を
DVDで観てから、
4回目を観に行こうと思っていたんです。

でも、余裕がなくて、
結局、ネットでそれぞれのあらすじを読んでから、
最後のナラタージュを観てきました。

そして、思ったこと。
行定監督は、深さに応じて、
3つのレベルで観ることができる映画を作ったのではないかと。

表面的に見ると、
煮え切らない教師と、エゴの塊りの若い男との間で揺れる三角関係の話。

さらに深く見ると、
それぞれの心情に共感して、人間のどうしようもなさと、最後の救い。

そして、3番目の見方は、
登場した複数の映画が、『ナラタージュ』の隠された骨格ではないかということ。

<以下、『隣の女』『エル・スール』『浮雲』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の
ネタバレを含みます>


なにが驚いたって、大学生になって再び葉山先生の研究室に行って、
最近、観た映画ということで、
二人とも大好き!と、
あんなに嬉しそうに盛り上がっていた『隣の女』が、

不倫の果ての悲劇で、
しかも、最後のラブシーン中の悲劇だったこと。

葉山先生とのことで、一人で悩んでいた泉が見た映画は、
『浮雲』。

美してエロイけど、クズな男と、別れられない二人。
(主演の森雅之さんは、キネマ旬報が行なった「日本映画オールタイム・ベストテン」の「男優部門」で第1位。
行定監督は、潤くんを第2の森雅之と思っているのかなと思ったりして。。。)

切り取ったシーンは、あてどもなく彷徨う二人でしたね。
この映画も最後は、悲劇。

『エル・ス―ル』は、父を慕う娘の話で、
感情が爆発した泉と葉山先生が
風呂場でもみ合った後に、
ずっとDVDをつけていたのが、『エル・スール』。

父親と娘が一緒に踊る幸せなシーンが映し出されていましたが、
この映画も、最後は悲劇。

葉山先生の父親は出ていったとのことですが、
この娘と自分を重ね合わせていたのでしょうか?

『エル・スール』の父親は、かつての恋人が忘れられなかったようですが、
葉山先生の父親も、別の女性のところに行ったのでしょうか?

そんな父親から捨てられたような感じだったから、
葉山先生は、結婚しても、母親との同居を望み、
母親と葉山先生との特別な関係が、妻には耐え難かったのかも・・・
などと想像します。

そして、子供はいなくても、葉山先生が泉の元に行けば、
父親と同じ道を選択したことになる。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も、
盲目の息子を救うために犠牲になった母親の話。

鬱な映画の代表にあげられるこの映画のDVDを、
妻が持っていて、それを葉山先生がとっていた。

この映画も最後は悲劇だけど、
葉山先生の奥さんにとっては、
大事な人(葉山先生)のために、
自らを犠牲にしたと思っているのかもしれない。

葉山先生と、その父親と母親、そして奥さん。
この人たちの過去に何があったかわからないけれど、
『エル・スール』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が、
暗示しているのかもしれない。

この4つの映画は、すべて悲劇で終わっているんですね。

そして、そういう映画にときめく泉と葉山先生。

悲劇の映画で結びついていた二人。

葉山先生は、このままいけば、二人とも不幸になると思ったのかも。

自分が救おうとした女性は、
結局、みな不幸にしてしまう。

柚子ちゃんのように。

だから、せめて泉にだけは幸せになってほしいと、
身を引いたのではないかと思う。

そう思うと、電車を見送る葉山先生の哀しみが、
さらに胸をうつ。

そして、懐中時計の「幸せであるように」というポルトガル語の文字が、
葉山先生の泉への真実であると確信してしまいます。



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December 06, 2017

(追加&修正)潤愛会ありがとうございました。

私の潤愛会に参加された方へのお礼の投稿について、
“自分は参加していないけれど、潤くんを愛でる会に集まった人たちを「潤キチ」と表現するなんて酷すぎるから、「潤担」に訂正してほしい”とメールがありました。

私は、自分を松潤キ○ガイだと思っていますし、
潤くんキ○ガイであることを誇りに思っており、
私にとっては褒め言葉です。

キ○ガイでなかったら、正直な気持ちを書いて、
わざわざ批判されたり、叩かれたりはしません。

先日の潤愛会に集まった人たちは、
そんな私をはるかにしのぐ
行動量や情報収集能力やエネルギーで圧倒されました。

本当に凄いなあと尊敬の念がわいたのです。

ですから、私にとって、「潤キチ」という呼び方は、
尊敬と愛情を込めた表現です。

一方、「潤担」という言葉は、私には非常に抵抗があります。
○○担というのは、いくつも選択肢があって、
その中の○○を担当しているということですよね。

私にとって、潤くんは、唯一無二の存在であって、
選択肢の一つではありません。

愛する人(例えば、恋人、夫、子供など)の名前に
“担(当)”をつけるでしょうか?
私にはできません。

このように、同じ言葉であっても、
人によって、受け取り方や意味合いが違ってきます。
文章だけからは、その人がどういうつもりで書いたかはわかりませんので、
今後は、広い心で読んでいただきたいと思います。

今回については、私がどういうつもりで「潤キチ」と表現したかを書いておりませんでしたので、
“潤くんファン”に訂正させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


12月3日に、美味しいランチをいただきながら、
11名の潤くんファンの方たちと、
楽しい時間を過ごさせていただきました。

みなさん、凄いですね~(感嘆)

ナラタージュの最後のラブシーンを、
微に入り細に入り、分析したり、
とても盛り上がって、面白かったです。

皆様、伊達に歳を重ねていませんね。
人生経験、豊富です。

貴重な情報もたくさん教えていただき、
とてもありがたかったです。

幹事をしていただいたみやりんさんをはじめ、
参加してくださった方々、
ありがとうございます。

私の毒舌でOKでしたら、
また、お会いいたしましょう。


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December 05, 2017

原作のネタバレについて。

映画『ナラタージュ』は行定監督の作品であって、
潤くんが出演しているのは、映画版です。

映画版と原作は別物です。

ですから、映画版の『ナラタージュ』について語ってください。

原作の内容が混じってくると、感想がブレます。

星フリは、松本潤くんの応援サイトであって、
ナラタージュの原作のファンサイトではありません。

潤くんは、彼が主演した映画や、
彼の演技についての感想が欲しいんだと思います。

ということで、星フリでは、
『ナラタージュ』について、今後、下記のようにお願いいたします。
(あきさんと相談の上です)

◆公開はもうすぐ終了しますので、
映画版『ナラタージュ』については、ネタバレも含んだ感想を、
自由にお書きください。

◆原作のネタバレを書く必要がある場合は、
<原作のネタバレを含みます>と書いてからお書きください。

◆原作についての問い合わせはしないでください。
ご自身が原作をお読みになるか、原作についてのサイトでおたずねください。


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November 15, 2017

人間はエゴの塊り

葉山先生が、卒業式の後、
泉にキスしたことに、
ずっと違和感を持っていました。

泉の窮地を救ったはずの葉山先生が、
卒業後とはいえ、
学校内で教師が生徒にキスしているのを誰かが見て、
それが広まってしまったら、
さらに泉を窮地に陥れるのに。。。

監督は、たくさんのシーンを削ったのに、
なぜ、この教師にあるまじき行為を残したのだろうかと。

昨日、3回目を観てきて思うのは、
行定監督は、人間のエゴを描きたかったのではないかと思い始めました。

小野くんのエゴは、すごくわかりやすいし、
あの靴は、彼のエゴの象徴だと思うのです。

自分のエゴ(靴)に泉を押し込めておきたかったのでしょう。

一方、卒業式のキスは、葉山先生のエゴの象徴かなと。

卒業したら、もう泉に会えないし、
妻のことがあるから、
泉と積極的に付き合うことはできない。

口では、もう自分とは関わらず、自分の道を探した方がいいようなことを言いながら、
本音では、泉を失いたくないし、
ずっと自分のことを思い続けてほしい。

それが、あのキスになってしまったのかなと。

葉山先生から、奥さんとは別れたと聞いていた泉は、
あのキスのせいで、
ずっと葉山先生に縛られてしまう。

なのに、演劇部の人数が足りないことを理由に再び呼び出されるまで、
ほっておかれた。

それが、泉の怒りや苛立ちになり、
葉山先生のエゴに振り回されてしまった。

人間だれしもエゴの塊りだけど、
誰かを好きになると、
それが増幅して、
自分でコントロールできないようになるんですね。

例えば、ファンは、好きな人に結婚してほしくないし、
他のファンの、自分とは違う感想が許せなくなってしまったりする。

葉山先生の奥さんの親は、
家に火をつけたのは、自分の娘なのに、
葉山先生を責め、

娘が笑顔になるならと、
今度は、娘とやり直してほしいと言う。

まさに親の肥大化したエゴですね。

人間は、なかなか変われないから、
あの親がついた奥さんとやり直すのは、
たいへんなことだと思う。

なのに、葉山先生は、泉と別れ、
奥さんとやり直す方を選んだ。

つまり、泉を失いたくないというエゴを捨てたんですね。

人間はエゴの塊りだから、
一番大事なエゴを捨てるというのは、
こんなに辛いことはない。

だからこそ、電車を見送る葉山先生の姿や、
泉に渡した懐中時計の「幸せであるように」という言葉に、
葉山先生の辛さがこめられているように感じ、
胸に迫ってくるんでしょうね。

そして、葉山先生が捨てたエゴ(泉への思い)の行き場がなくなったため、
その後の二人のことをあれやこれや想像して、
いつまでも余韻を引きずるのではないかと思います。

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November 04, 2017

ナラタージュ、2回目観てきました。

ナラタージュ、2回目観てきました。

1回目は、とにかく話についていくだけで精いっぱいだったのですが、
2回目は、ゆったりした気持ちで、
1回目で気が付かなかったこと、意識しなかったことが、
ああそういうことだったのか・・・と思ったり。

以下、ネタバレを含みます。


1回目は、ゆず子ちゃんの死が唐突で、理解できなかったのですが、
今回、ゆず子ちゃんは、もう一人の泉なんだなあと。

葉山先生は、泉のことは救うことができたけれど、
ゆず子ちゃんを救うことはできなかった。

葉山先生は、危うい感じの子をほっとけないんだろうなあと。

奥さんも、危うい感じの女性だったんでしょうね。
そういう人に魅かれて結婚した。

葉山先生と泉は、お互いのどん底をを救いあって、
そして、泉は、葉山先生のためなら何でもすると言えるくらい強くなった。

泉には、もう自分は必要ないと思ったのかもしれない。

ゆず子ちゃんの死もあって、
自分を一番必要としているのは、妻だと思って、
妻の元に戻ることを選んだのかもしれない。

懐中時計は、葉山先生の父親が出ていくとき、彼に残していったものだったんですね。

「幸せであるように」というポルトガル語は、
父親が息子の幸せを願って彫ったもので、
葉山先生は、それを知っていて、
父親の自分への思いを知っていたのかもしれない。

彼にとって、父親の愛情の証しである、
本当に本当に大切な宝物を泉にあげたんだろうなあと。
泉の幸せを祈って。

懐中時計のおかげで、父親の自分への愛情を感じることができていたからこそ、
奥さんの父親の、娘に対する思いもくみ取ることができて、
妻を今度こそ幸せにしようと思ったのかもしれない。

だから、今頃、葉山先生と奥さんは、
それなりに幸せに暮らしているのではないかと思う。

危うい感じの女性を救うことに、
自分の存在価値を見出している人のように思うから。

今回は、「何なんですか?!」と、何度も言う、
泉の葉山先生に対する怒りが、とても伝わってきた。

自分の気持ちを知っていながら、
ハッキリしない葉山先生に対する苛立ちと、狂おしいほどの愛しさが、
髪の毛を切ることからシャワーのシーンだったんだろうなあと。

だから、最後に、
葉山先生から泉が知りたかったこと(奥さんとの真実や自分への思い)を聞いて、
泉はスッキリしたのかもしれない。

葉山先生が奥さんの元に戻ることも納得したし、
自分と葉山先生との終わりも受け入れられた。

苛立ちも消え、終わりを受け入れられたから、
葉山先生の家に行って、
全身全霊で、互いのすべてを体感したかったのかも。

今回の私は、
泉も、もしかしたらゆず子ちゃんのような運命になっていたかもしれないと思いはじめたあたりから、
ラストまで涙が止まらなかった。

映画の世界に入り込んで、
登場人物の心情に思いを馳せることができるかどうかで、
この映画を楽しめるかどうかが分かれるのかも。

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November 03, 2017

後輩のナラタージュ感想

久しぶりに会った大学の後輩が、
松潤ファンだけど、ナラタージュを見ていないということで、
今日、二人で行ってきました。(私は2回目)

以下、ネタバレを含みます。


見終わった第一声は、
「松潤、うまくなったわねえ。普段の松潤とまるで違う。」
とのこと。

映画の感想は?
「こんな話だと思わなかった。奥さんのところに戻るなんて。。。」

一番印象に残ったことは?
「う~ん。。。 松潤のうだつのあがらない感じ」

ファンなのに、なぜナラタージュ観てなかったの?
「あの週刊誌のことがあってから、気持ちが、↓になってしまって。。。
それに話が話だから。
テレビでやったら見るかもしれないけど。

花男でファンになったから、真○ちゃんと結婚すればいいのに。
そしたら、いろんなことがあっても、おさまるところにおさまって、
よかったと思えるのに。

嵐は、ここのところ、心に残るいい歌がない。
新しいアルバムも、今までで一番よくない。

コンサートに行きたくてファンクラブに入っているけど、
全然当たらないし。。。」

彼女のようなファン、多いんだろうなあと思っていたけれど、
目の前でこういう話を聞くと、
リアルな感情が伝わってきて。。。

でも、逆に、私のファン魂が燃え上がるんですよ。

誰がどう思おうと、事実がどうあれ、
松本潤という人の、エンターティメントにかける底知れぬ情熱に惚れこんでいるんですから。

※ナラタージュ2回目を見た私自身の感想を、次の投稿で載せます。

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October 28, 2017

ラストがすべて

ナラタージュ、まだ1回しか観ていませんが、
とても心に残る映画です。

(以下、ネタバレを含みます。)


思ったことは、
懐中時計の「幸せでありますように」という言葉が、
この映画のすべてだったなあということ。

この言葉がなかったら、
葉山先生は、妻がありながら、
教え子の卒業式にキスをするというゲス男ですよ。

気を持たせるような優しいことをさんざんして、
うそついて、振り回して、
肉体関係を持った上で、妻の元に戻るという、
とんでもない男。

でも、泉に残した懐中時計に、
永遠に気が付かないかもしれないポルトガル語で、
「幸せでありますように」という文字があった。

そのおかげで、葉山先生の抑えに抑えた切ない感情を知ることができて、
観客の心が、一気に葉山先生の辛さに共感するんですね。

私をはじめ、そこでわあ~っと涙があふれてしまった人がたくさんいたのではないでしょうか。

人間、いろいろあるよね。
何考えているのかよくわからない男だったけど、
泉の幸せを願う気持ちは本物だったんだなってね。

泉に届くかどうかわからない、
隠されたメッセージなだけに、
そこに、真実を感じてしまうのが、人間の心理。

映画って、ラストの感動で、1本の映画そのものの評価が決まってしまうことってあると思うんです。

例えば、『幸福の黄色いハンカチ』。

妻がムショ帰りの自分のことを待っていてくれるかどうかわからない不安な中で帰宅したら、
待っているという印の黄色いハンカチが、
大量にはためいているというラストに号泣してしまいます。

ラストに至るまでの途中は、ほとんど覚えていない。

というか、主人公の男が不安でうじうじしているからこそ、
ラストのはためくハンカチが爽快で快感。

ナラタージュも、それまでの葉山先生が、
うじうじ、気持ちがよくわからない男だからこそ、
「幸せでありますように」という、
平凡だけど、わかりやすい言葉が、
大きな意味を持ってくるんでしょうね。

そして、懐中時計の文字に気づかせてくれた後輩くん。

彼こそ、泉の過去をすべて受け入れてくれる大人の男ですね。

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October 09, 2017

『ナラタージュ』についてのお願い

この映画が、映画評論家などに、
“映画らしい映画”のように表現されているのを読みます。

映画らしい映画というのは、
映画館という日常から隔離された暗い空間で、
大スクリーンに映し出された世界に没頭するからこそ
楽しめる映画ということかなと思うのです。

ナラタージュという映画の魅力は、
説明を極力排除して、
観る者の想像に任せる余白を残していることだと思うのです。

だから、余韻を引きずるし、
あれやこれや、想像し、考える。

百人いれば、百通りの解釈や感想が出てくるのは当然。

一つの作品を通して、無限の広がりがあるから、
好奇心がそそられる。

たくさんの映画評論家が評価する理由は、ここにあると思うのです。

映画は、監督が創った作品。

何を残して、何を削るか、
どれほど考えに考えて、完成させたことか。

削られた部分は、観る者の想像に任された余白。

その余白を、原作を読んで埋めようとする人もいるでしょうが、
ファン以外は、そこまでする人は多くはないと思うのです。

原作を読んだ人と読んでいない人で、
感想が違ってくるのは当然ですが、

原作ではこうなっている・・・というように、
具体的な内容を、書かないでいただきたいのです。

原作の具体的内容を書いて、
他の人の想像という楽しみと、
この映画に感じた魅力を奪わないでいただきたいと、
切に願います。

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