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December 06, 2011

舞台【あゝ、荒野】感想④

やっと『あゝ、荒野』の戯曲を読みました。
美しい長編の詩を読んだような気がしました。

原作は、森山さんの写真のおかげもあってか、
あの当時の新宿の様々な人間模様をつぎはぎしたような感じでしたが、
戯曲は、一つの架空の世界が構築されていて、
新次とバリカンと芳子と自殺研究会の叙事詩的感覚でした。

原作にはなかった娼婦マリーの死が、
バリカンの死への伏線的な流れにもなっているようで、
脚本が夕暮マリーさんという覆面作家であるというのは、
娼婦マリーという原作にはない人物を使って、
この戯曲をリードしているという暗示なのかもと思いました。

そして、戯曲と実際の舞台の違いは、
舞台の新次、バリカン、芳子が、非常に清潔でピュアな印象なのに対して、
自殺研究会や娼婦たちや他の登場人物たちが、
生きることの澱(オリ)のようなものが、体の中に沈殿しているような汚れた印象があり、
その対比が際立っていたことです。
自殺研究会の面々が、役柄よりもかなり年齢が高い役者さんたちが演じたというのも、
この対比を明確にする意図があったのかもと思われます。
また、いろんな種類の人間がいるんだよということを表すために、
体格の違いが大きい俳優さんたちを配役しているのだろうなあとも思いました。

ところで、蜷川さんが、潤くんを「もったいない」と言ったのは、
女子供の憧れだけではもったいない。
成熟した男にだって惚れられるのに・・・ということもあるのかもしれません。

男が惚れる男というのは、
自分がしたくてもできないことをやってのける男だと思うのです。

例えば、やくざ映画の高倉健さんは、
ストイックに鍛えた体で寡黙を通し、
最後に義理や友情のために身を捨てて、殴り込みをかける美しい男だったわけです。

新次は、男なら誰でも本来は持っている欲望を隠しもせず、
堂々と宣言し、実行し、
世の真実を鋭く突き、
惚れた女なら母親殺しでも受け入れる度量の大きさを持ち、
我が身の破滅よりも、真に友達だと思った男の究極の願いを、
鍛え上げた体ととてつもない精神力でかなえてやる。

生きることにきゅうきゅうとせざるを得ない現代の男たちにとって、
感涙にむせぶほどの憧憬の対象となる、まっすぐに煌めくカッコイイ新次なのでしょう。
非情に思われることの遂行の奥にある、真の情の大きさ・むずかしさを知りぬいている男だからこそわかる、
新次の魅力もあるのでしょう。

あらためて、潤くんがこの役に賭けた強い思いがわかるような気がします。


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