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September 23, 2010

『夏虹』への疑問

最終回、よかったですね~。
お父さんが客席の後ろで拍手してくれているのを見た瞬間、
そして、それを見る大雅の泣き笑いの素晴らしい表情を見たとき、
すべては、この瞬間に集結するためのドラマだったんだと思いました。
いろいろあったけど、まあいいかなって。

でも、時間が経てば経つほど、なぜヒロインの詩織をこんなにも共感を得づらいように描いたのだろう・・・
という疑問がわいてくるのです。
子持ちの視聴者が、大雅のような可愛い男の子に恋されることを妄想してドキドキさせたいのであれば、
授業参観、学童保育、夫の実家・・・などなど、
ラブストーリーでは忘れたい現実を、これでもかと見せて、盛り上がる気持ちをそのたびにペチャンコにさせてしまうのはなぜ?

子供との日常を描けば描くほど、大雅とのキスシーンなどに違和感が感じられるし、
詩織にとっては、大雅というもう一人子供が増えるだけのように思えてくるんですよね。

彼のことが好きな女性にわざわざ、彼は私のものになったのよ・・・と言いに行くのは、
ヒロインではなく、敵役がやること。

ジョー、桜、有栖川・・・と、最初、嫌なヤツに見えて人たちが、結局は魅力的なキャラになっていったのに、
詩織は、その逆なんですよね。

これって、顔とか、弁当とか、表面的なことで男はコロっとだまされるのよね。
女は、どんなに好きとか言っても、いざとなれば子供をとるのよ・・・
という、男たちに対する警告?

子供がいる未亡人との恋物語だって、描きようによっては、素敵なラブストーリーになったと思うんですよ。
ものすごくハードルが高いでしょうが、
最低条件は、ヒロインに共感し、応援したくなること。
そんなことはたくさんの脚本を書いてこられた大森さんなら、百も承知のことだと思うし、
ワークショップから最終回にかけての、大雅の役者としても成長物語が素晴らしければ素晴らしいほど、
肝心のラブストーリーとの落差に、なぜなんだろう・・・と、いつまでも疑問が残るんです。

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