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May 09, 2009

リアリティは細部に宿る

私が今回リアルだなあと思ったのは、
例えば、相模に自己紹介するとき、「早川・・・」と言って、ビトと言えなかったこと。
ビトという日本人的でない名前だけで、自分がハーフであるということを詮索されたり、
話したくないことを話さなくてはならないことが散々あったからなんだろうなあと想像できるから。

それから、リナちゃんのお母さんが殺人未遂で訴えたということ。
法的には成立しないだろうし、そこまでするか?!
と、常識的にはあり得ないかもしれないけれど、
父親も他の子供も、その他の家族らしき人もそばにいなくて、
母一人子一人で、娘を生きがいに必死に生きてきた人なのかもしれない。
もしかして、前夫とのことで男性不信が強くて、
そこに素性の知れないビトのような若い男が、命より大事な娘に近づいてきて、
拒否しても拒否しても近づいてきてトンデモナイことをしてくれた。
半狂乱になってしまった母親の気持ち、わかるなあと思ってしまいました。
そして、いつもそばにいるお婆さんが、ああ、こういう人いるわ~というリアリティがあって、
そういう人しか味方にできない母親の孤独が透けてみえましたね。

また、2015年の拘置所で手に取った花からのラブレターが、2009年に戻って、
ああ、本当にこのラブレターが時を越えてビトを支え続けたんだなあとわかって、
2009年のラブレターにまつわる話がとてもリアルで、胸がいっぱいになりました。

そして、林の恐怖。
花の愛や一馬弁護士の協力を得て、やっと林の恐怖から逃れられるか・・・と、
幸福への期待感が高まれば高まるほど、林が怖く思えて、
ビトの恐怖感に私の気持ちもシンクロして、
ぞ~っとするほど怖かった。

こんな風に、登場人物の心情に共感できればできるほど、リアリティを感じるし、
共感できるかどうかは、ちょっとした演出だったり、言葉だったりで、
そういう些細なところに、作り手の想いが現われているような気がします。

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