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February 22, 2005

東京タワー第2回鑑賞。

2005/01/22(Sat) 23:05
                                                      
期待したより、エロシーンが過激じゃなかったのですが、
一つ一つのラブシーンのクオリティが高くて、創造的で、想像力をかきたてられて、かえって良かったんじゃないかと思うんです。
リアルなベッドシーンって、興ざめさせられたり、
或いは、激しすぎて、作品のメッセージよりも、そういうシーンだけが印象に残ってしまう・・・という、本末転倒の結果になることがありますものね。

吉田の母親とのシーンは、背中と横顔だけで年齢を感じさせられ、女の性の悲しさが出ていて、セツナイです。
ただ、耕二が高校生に見えなくて、例えば前髪を切るとかして、現在と明らかに違うビジュアルにした方がよかったと思います。
由利ちゃんとのシーンでは、タバコのけだるい扱い方だけで、由利との、あまり気持ちの入っていない関係が浮きぼりにされていましたし、
豊かな背中とファスナーだけで、若さがピチピチしていました。
ラブホテルでは、ずっと年下の彼に喜んでもらおうと、あんなイケテナイ花柄下着を選ぶ喜美子の気持ちが不憫。
汁の滴る桃のシーン、とってもよかったけれど、喜美子のバージョンアップを表すには、もう少し過激でもよかったのではないかと思います。

耕二が何故年上が好きか・・・ということが、具体的に描かれていない気がしましたが、
年齢を重ね、たくさんの傷を負った女性が好きなのではないかと・・・と、ふと思いました。
「誰もが無傷で生まれてくるが、生きる事は傷を増やしてゆくことなんだ」というようなことを耕二は言っていますよね。
吉田の母親と関係を持ったことで、彼女もその家族も自分も深い傷を負ってしまった。
耕二の言葉は乱暴だけど、吉田母娘に対する痛みが見える。
そういう痛みと傷を抱えて生きていると、人の心の痛みにも敏感になリ、そこに共感を持つようになると思うんです。
合コン女子学生のような、卵のようにツルッと無傷な女性には魅力を感じないでしょうね。

車をぶつけてまで、「私を憎み続けて 忘れないでね」という喜美子に、涙が出てきました。
別れたくない・・・、でも別れるなら、相手にも傷を残さずにはいられない。
そうでもしないと、自分の激情をなだめることができない。
「ああ、ぜってぇ忘れねぇ」という耕二の言葉は、うれしくもあり、さらなる炎を燃えあがらせる種火にもなりえる。
でも背を向けて、泣き顔を見せずに立ち去る喜美子。
「女は傷つくことに抵抗する(から逃げる?)」という耕二の言葉通り、さらに傷つくことよりも、別れを選択したのでしょうか?

激しい内面の葛藤が画面を通して、ぶつけるように伝わってくる喜美子に対して、
詩史は、舌足らずにしゃべるお人形さんのよう。
自分の行動が、どれだけ夫や透の母親、はたまた透を傷つけているかという自覚がない子供のように見えるので、透がオモチャに見える。
詩史の夫と透の母がガード下で立って飲んでいる様子は、やれやれ、あの子供同士でどうなることやら・・・って感じに思える。
離婚届けに、透の現住所を同封した詩史の夫は、最後まで真の意味で詩史を愛した大人の男だったのか、それとも、三くだり半だったのか?
ふうむ。謎ですね。

それにしても、自分の気持ちに正直に従ったように見える詩史・透の結末が、おそらく長続きしないであろうと想像されるのに対して、
自分の気持ちを抑えつけて別れを選択した喜美子・耕二が、このままでは終われないだろうなあと未来を感じさせられるのは、
作り手が意図したパラドックスなのでしょうか。。。
だとしたら、深い。



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