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December 13, 2004

ももの感情は愛?

9月26日(日) 2時22分
武志は、16歳で家を出て、表面的には反抗していても、無意識には、母親に認められることが、大きな目標だったと思うんです。
母親から認められない心の隙間を、スミレに埋めてもらっていたとも考えられます。
でも、8話で、やっと母から認められて、「愛してるよ、俺の人生」と言う。
ここではじめて武志は、自分を認め、自分を愛し、自分の人生に自信を持つことができたのだと思います。
それまで迷っていたドイツ行きを決心できたのは、母親に認められたからだとも考えられます。
よく、「自分を愛することができて初めて、人を愛することができる」と言いますね。
武志は、母からの愛を確信したから自分自身を愛することができ、そしてスミレに、これは恋だったと打ち明けることができた。

でも、スミレは、自分自身を受け入れらないままだったので、武志からの愛を受け入れることができず、どうしたらいいのかわからなくて、次の朝、ユリちゃんに助けを求めにいく。

スミレに愛を受け入れてもらえなかった武志は、仕方なく空港に行く。
でも、スミレをあきらめきれないため、カウンセラーのちょっとした言葉でスミレの元ヘ戻る。
一度は結ばれて、恋人同士になりたかったのに、
スミレと仲良く暮らすためには、モモであり続けるしかなかった。
なぜなら、スミレは自分に自信がなく、人を愛する能力がない女性だったから。
最後、カウンセラーに、「10回に一度は、(モモじゃなくて)武志と呼んでくれる」とうれしそうに言う場面、
以前、私は、ヒモみたいで嫌だと言ったことがあるのですが、
今、考えて直してみると、これは、ペットとしてではなく、男として認識され始めていることヘの武志自身のうれしさと、
スミレの少しづつの成長を喜んでいたのかも。

私は、男女関係というのは、お互いの精神年齢(大人度とも言える)が、同程度でなくては、うまくいかないと思うんですよ。
片方が成長しているのに、もう一方が変わらずだと、もの足りなさを感じて、いずれ破綻すると思うのです。
男女関係の醍醐味というのは、先日雑談板で話題になっていた、「1人の人と100通りのキスをしたい」という言葉で代弁できるように、
お互いに様々な刺激や影響を与えながら、共に悩み、楽しみ、互いを育て合うことだと思うのです。

ですから、今の私の個人的な意見では、スミレと、ペットであるモモとの関係は、長続きできないと思うのです。
だって、すでに男の武志として、スミレを愛しているんですもの。

蓮実くんについても、同じことが言えると思います。
いかにもイイ人の彼ですが、6話では、悩める男としての衝動を抑えることができませんでしたね。
スミレの弱さを理解し、それを大人の愛で大きく包み込んで、彼女の固い心をほぐしてあげようと努力しても、
スミレがあのままでいる限り、6話で現れたような、蓮実くんの弱さが突如出現することがあるでしょうね。

9月29日(水) 22時7分
あめじすとさん
>本当にスミレはモモを愛してるんだと思うのですが、それを自分から認め>ないように無理してしまってるのかな・・と思います。本気で好きになっ>てはいけないと・・・

なるほど・・・と思いました。
8話のピクニックで、二人の声が重なる場面なんか、どう見ても、
愛し合う二人ですよね。
でも、その帰りに、ハスミ君に会いにそそくさと行ってしまう。
モモが、あまりに可哀想。。。


10月3日(日) 22時50分
スミレの本質は、そういうものですね。
人間同士、特に男女は、根底にある本質をお互いが感じとって、惹かれ合うものだと思います。
スミレとモモ、とても似た者同士という本質があるのでしょう。

ただ、それをうまく運ぶ人間的成熟が、スミレには欠けていたということかな。

10月12日(火) 0時18分
モモの感情は愛だったと思います。
これが私の結論です。
キーワードは、最終回、マンション前で別れるときスミレに言った、「あまり変わらないでね」です。
愛というのは、相手をありのまま受け入れることですよね。
こうだったら愛してあげる・・・という条件付きではなく、
存在そのものを無条件に受け入れることが愛ですもの。
福島さんに、牛乳飲みながら言った、「そういう人だから、そばにいたんだけどね」というのも、欠点だらけの彼女だけど、そういう彼女そのものを受け入れ、そういう彼女だから愛したともとれます。
スミレの言葉ではないけれど、お互い欠けているところを補い合うのが男女の愛ともとれますし。。。

以前、私は、愛と責任は表裏一体だと書きましたが、
空港から戻って、全然変わっていないスミレと一緒に暮らすことで、モモは「あまり変わらないでね」という自分の言葉の責任を取ったと思います。

そして、愛するということは、愛する相手の幸せが、すなわち自分の幸せになることだと思います。
スミレの幸せは、モモがペットとして一緒に暮らすこと。
ですから、武志がペットのモモとなって、スミレと一緒に暮らすことは、
愛するスミレが幸せなのですから、モモも幸せなのでしょう。
客観的には異常な関係でしょうが、
愛の形は千差万別で、同性愛でも、サド・マゾでも、主従関係でも、当人同士が幸せなら、それで成り立つわけですから。

と、ここまで書いてきて、谷崎潤一郎の『春琴抄』を連想してしまいました。
春琴が佐助の子供を産んでも、主従関係が続くのですから、さらに上を行っていますね。

大森さんは、最後に、「10回に1回は武志と呼んでくれる」とモモに言わせることによって、
ペットとご主人様という関係が、永遠に続くわけでなく、
男女の関係への発展もあり得るよ・・・と示唆してくれて、
今の私にとっては、救いです。

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